何となく読んでみる。

なぜ最近の少年漫画は敵を殺さないのか?

という議題による議論のログですね。
ちょっと寝不足とゆーか徹夜明けの頭で考えてみませう。

とりあえず理由かなーと思うものを列挙してみる。

1悪書追放運動の名残り
2親の世代がこれまで以上に潔癖になってきている。
3世の中ゴネたモノが勝つんですよ。
4編集側が過敏になった。
5「死」を描ききれる作者が減ったのかも知れない。

といった感じですかね?
リンク先の議論はどんどんズレて行ってますが。
とりあえずは上の5項目くらいがざっと思いついたものですね。

1は
まー昔っから漫画は悪役やってましたから。
「善意ある大人」に押さえつけられてきた悪書。
その反発もあって当時の漫画家さん達は時に大人を罵倒し、また時に規制の網を縫うように描いてきたのかなと。
でも今は、メインカルチャーを押しのけて、影響力はかなり大きくなっています。
中堅どころの作家による漫画単行本の発行部数に勝てる文庫なんか見渡してどの位あるのか。
とまあそのくらい日本の社会、文化の中心に迫ってきていると言えるのではないかなーと思います。
無論メインにはなっていませんよ?
まーそんなこんなで漫画というものを取り巻く環境が変っている。でも前例は残っているから「これ書いちゃうと抗議来るから。」って前例と付き合いながらの仕事になるわけですね。

2は
昔、と言っても僕が子供の頃は焼き芋は新聞紙に包んだし、その辺の蕗とかつつじとか千切っては啜り。
なんて経験がありましたし。 
捕まえたバッタやトンボで遊んでいる内に死なせてしまった。
なんて事も良くある話でした。
そして転んで擦りむいてもそのまま走り回ったり、とかも良くありました。
でも更に遡るともっともっと危険で汚かったはずなんですよね。
当たり前の事ですが、結構失念しちゃうんですよねこれが。
衛生的に、綺麗に。
強迫観念にも似た思いが今の生活を築いてきていて。
それによって僕ら自身がかなりの洗脳を受けているんですよね。

例えば、
もし貴方が花粉症だったとして、この質問にどう答えますか?

「花粉症には特効薬があります。これを服用すれば向こう20年は絶対に花粉に悩まされません。花粉症の辛い症状から解き放たれる為に、この『ギョウ虫』の卵を飲みますか?」

たとえ話として出しましたが、本当に効きます。
この辺と同じじゃないかなーと思うのです。
つまりもっと死がありふれている頃ならば、それほど気にも留めなかったのに、周辺から死が見えなくなったから、物語の中の死に過剰反応するようになったかなーとか思ってみたのですが。

3は
まー結局世の中声のデカい人ほど直接的に得をしちゃうからとりあえず大声出しとけ。
って人が増えてきたんじゃないでしょうか?
大声出してごねたらとりあえずは何とかなるな。
って変な知恵付けちゃった人が。気に食わなかったら大声出したらええやん。
って感じで。

長期的に自分の首締めることになりかねないのがわかって無いんじゃないかと思ってみたり。
いや、ほんの一部。0.1%程度だと思うんですよそんな人は。
でもその0.1%が声を張り上げたら届くんですよ。
一作家の一作品程度なら。
最近何処もクレームに過敏になってますからね。

4は
上で殆ど言いましたが。
そーいったクレームが積み重なったマニュアルがあるか。
或いはそれまでの経験等から「事なかれ」で行こうとする編集も多いんだろうなと。
転ばぬ先の杖とばかりにチェック入れる。
それ自体は悪くは無いですしね。
漫画は作者のみで作れるものじゃありませんから。
蓄積が増えるとその分チェックすべき項目も増えますし、
減る事はあんまりないでしょうしね。

5になると
これは別に作者のせいだけ、とも言い切れないでしょうねぇ。
身近で見える死が減れば、その分描ける死も減るでしょうし。
いくら想像力を働かせても全く見たことの無い、あったとしてもものすごく珍しいものを表現しようとすれば、レアであるほどに難易度は上がるでしょうから。
これは良いとも悪いとも言い切れないですねぇ。


こんな感じでしょうか?
当たってるかも知れないしものすごく的外れかも知れないですし。
マイナー誌や青年誌とかではこの辺緩かったりするものもあるので当てはまらない事も多いでしょうけど大体こんな感じかな? 

とか思います。



皆さんはどう思いますか?